「今の時代なら間違いなく批判の的」本木雅弘、17歳の内田也哉子に交際0日で求婚…還暦を迎えて語った結婚秘話

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俳優の本木雅弘が還暦の節目を迎え、妻である内田也哉子との結婚秘話を公表した。交際を経ずに結婚を申し入れたという経緯が耳目を集めている。
今月8日、Yahoo! JAPANによると本木は9日今月発売の月刊誌、文藝春秋におけるインタビューにて、也哉子夫人との婚姻のプロセスや、義理の両親であるミュージシャンの内田裕也、女優の樹木希林との家族関係について言及している。
1965年生まれの本木は、2025年12月に還暦を迎えた。埼玉県で15代続く農家の次男として生まれ、14歳でテレビドラマ『2年B組仙八先生』に出演して芸能活動を開始した。16歳でアイドルグループ「シブがき隊」としてデビューし人気を獲得した。その後は俳優として活動を本格化させ、演技派俳優の一人として評価を確立している。
本木は今回の取材において、自らが婚姻を決意した経緯についても述懐した。俳優として人気を集めていた29歳の頃、当時19歳だった内田也哉子と結婚した。10歳の年齢差に加え、内田姓を継ぐ婿養子縁組を伴う婚姻であったことから、当時の世間の注目を大いに集めた。特に、正式な交際期間を設ける前に求婚に至った事実は、現在でも特筆すべき逸話として知られている。
両者の縁は、也哉子の父である内田裕也が脚本および主演を務めた映画『魚からダイオキシン!!』を契機に結ばれた。同作に出演した本木は、制作関係者を交えた食事会の場で也哉子と初対面を果たした。
当時、也哉子はまだ15歳の中学生だった。本木はインタビューで運命の初対面について「也哉子と初めて会ったのも、その映画の食事会の場でした。当時、彼女は父親から『年に一度の面会だ』と呼び出されたものの、周囲の大人たちが大騒ぎする中で完全に放置され、ぽつんと離れて一人でご飯を食べていた」と振り返った。そして「それを見かねて、僕から『君も何か飲むか』と声をかけた」と付け加えた。
両親が長年別居状態にあり、幼少期から父親と離れて暮らしていた也哉子は、酒席の喧騒に混ざることなく、凛と一人で佇んでいたという。本木がそんな也哉子にそっと寄り添ったことが、すべての縁の始まりとなった。その後、二人は文通を通じて少しずつ心の距離を縮めていった。
当時、也哉子はスイスで留学中の高校生だった。東京でトップ俳優として多忙を極める本木と、異国の地で青春時代を過ごす也哉子は、手紙を交わしながらお互いの人生観や哲学を深め合っていった。そして初対面から約2年の月日が流れた頃、本木は彼女に向けて、電撃プロポーズを敢行した。
本木が伝えたプロポーズは、相手の未来まで見越した内容だった。彼は「僕は白髪になったあなたを想像できるし、そんなあなたが愛おしく感じると思う。今すぐでなくても、いつか結婚という選択肢が現れた時、僕もそこに入れてほしい」と言った。すぐに結婚を約束してほしいと急かすのではなく、いつか選択の瞬間が来たら自分もその選択肢に含めてほしいという意味だった。
しかし、このプロポーズの前に二人の間には交際期間が存在しなかった。いわゆる「交際0日プロポーズ」であり、突然の申し出に也哉子も当惑を覚えたと伝えられる。本木は当時17歳だった也哉子に求婚し、彼女が19歳を迎えた後に婚姻に至った経緯を説明した。
本木は当時を振り返り、「今の時代なら間違いなく批判の的になっていただろう」と述べた。二人の婚姻が報じられた当時も、10歳の年齢差や若年での結婚、交際を経ないプロポーズという異例の展開は世間の強い関心を呼んだ。さらに、人気絶頂の本木が妻方の家に入る婿養子縁組を選択したことも大きな話題となった。
婚姻に至るプロセスには、義母である樹木の意向も大きく関与していた。本木は内田の家名を継承してほしいという義母の願いを受け入れ、婿養子となった。芸能界でも前例の少ない結婚形態として注目を集めたが、二人はその後、独自の信頼関係に基づく家庭を育んできた。
還暦を迎えた本木が自身の特異な結婚の経緯を語ったことで、長年培われてきた夫妻の絆に再び関心が寄せられている。
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* 本文内容由 MHN Sports 提供。